今という瞬間を意識的に生きる: マインドフルネス-自分と時間のお話
略歴:渡英後すぐ、イギリスの某大手IT企業に就職。IT/マーケティング資料/サポート記事の翻訳や校正を現役で担当中。ローカライズ歴5年目。プライベートでは、現地で結婚。夫婦の共通言語は英語。
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全部やめたい症候群
皆さん、嫌なことは、全部やめてしまおう!と思ったことはありますか?
私は今そう思っています。
特に行き詰まった訳でも何でもなく、むしろ日々はすごく上手く運ばれていて、新しい土地で始めた仕事にもかなり慣れ、夫もいい人だし、家事もお金も半分ずつ。
職場近くの田舎に小さな家を買い、最近黒猫の子猫を飼い始め、何かしら順調。
空き時間には、やりたかったけどできなかった事をだんだんと詰めていって、とにかく充実。
きっと今までで一番最高の人生になっている感じがするんですが、こうなってくると、毎日がほぼマッハで過ぎるようになって来ます。
気づけば、友達が何で欲しいのか分からないくらい、日々やることで埋まっています。
限られた時間で、全てをやろうとするがあまり、全てがすでに最大限に効率化されている上で、まだ出来ることをぎゅうぎゅう詰めて行こうとしているんですね。
もし、一度だけ好きに使えるお金がいくらでもあると言われたら
もし、今、一度だけ好きに使えるお金がいくらでもあると言われたら、何が欲しい/何をしたいですか?
曰く、お金のかかる女性というのは、ブランド物が好きだとか、宝石が好きだとかありますよね。
そして買い漁るかもしれません。久しぶりの休みにエステに行った帰り、高級なブランド物の指輪を買って、明日から、私こういうちょっと上級の生活を送れるんだわなんて決め込む。
しかし今、ダイヤモンドも、高価な服も、何かしらの物欲を満たそうとするものは、正直一切要らないのです。よく考えてみると、所有した一瞬は嬉しいのであるけれど、事実そういう物には全く魅力を感じていない。
高価な大粒のダイヤを自分が所有したからと言って、自分自身が根本的に変われて、明日から違う人生を遅れる訳ではないという事に、気づいているのです。
足りない。何かが、足りない。
何が足りないのでしょう?いくら食べても買っても、例え完璧な日常を送っても、満たされない何か。
Zeit ist Leben(時間は命である)
何かが足りない。でも何が足りないのかがわからずに、色々買ったりしてしまう。
そんな時、あなたが欲しているものは、時間です。
それも、ただの時間ではなく、あなたがとうの昔に過ごし方を忘れてしまった時間の事です。
『モモ』というミヒャエル・エンデ著の美しい児童文学があります。モモという名の優しい浮浪者の女の子が、時間泥棒に時間を盗まれた現代人の心を、ノロノロ歩くカメのカシオペイアと共に癒していく話です。
物語の中では、その時間泥棒たちは、人々の咲き誇る時間の花を乾燥させ、葉巻にして吸って、生命力を得ているのですが、これと同じことが、私たちの心の中にも起きているのです。
行動の自動化
実際、現代人は何をするにも、「自動化」してしまっています。
あれ、玄関の鍵を閉めたかどうか覚えていない、と、車に乗ってからはたと気づくことはありませんか?そしてこれを毎日繰り返している事もあなたは知っています。
もしくは、夫と公園に行こうとして車に乗ったのに、いつの間にか、いつもと同じ職場への道を走っている事を指摘される。
こんな時、私たちの時間は、パサパサに乾燥させられ、自分ではない誰かの一瞬をつなぐ刺激物として、煙になっています。
将来の夢とか希望とか、そういう事ではなく、ただやらなければいけないことをどう効率的にこなすかということだけをして来たせいで、「私」が遠くへ置き去られてしまい、車ではなく、人間の日常オートマ運転が出来上がっているのです。
何も考えず、何も感じず、つまりは何も体験せず、ただ目の前のものをこなしているだけの存在なのですね。
今を意識的に生きる
この事が、私をヨガや座禅の瞑想へと走らせたきっかけでした。そもそもミヒャエル・エンデの『モモ』に出会いそれを研究していたのはだいぶ昔の話です。
その時から、なんだかんだで、こう時間のことを考える運命の下に生まれついているのかもしれません。
近年、「マインドフルネス」という新しい手法がアメリカやこのイギリスでも、そして日本でも、有名になりました。マインドフルネスの生みの親であるJ・カバットジンの著書がいくつもあります。
少し引用してみましょう。
時の流れは、ある意味で心の中の動きと結びついています。私たちは、過去について、また未来について考えたりします。
『マインドフルネス ストレス低減法』J・カバットジン
時間は、果てしなく続く様々な思いの流れです。ですから、様々な思いが現れたり消えたりする様子を観察していれば、思いの流れの背後にある静寂や平安、そして”時間という物が存在しない現在”を手に入れる能力を開発できるのです。
現在というものは、いつでもここに存在しています。つまり、現在とは、過ぎていく時間とは全く別のものなのです。
『モモ』に出てくる「時間の花」もそうですが、時間の本質というものは、時計に刻まれるものではないのです。
この時間の本質は、知れば知るほど自分の心に繋がってくる。この「心」を、私たちは子供の頃には容易く見つけられたはずなのですが、今となってはそう簡単ではありませんね。
こうやって、時間を発見できるということは、自分を取り戻すという事と、結局は同義ではないでしょうか。
それに気づく事ができたら、「どういう自分になりたいか、どう見られたいか」ではなく、たまには、頑張っている自分を振り返ってあげてください。
今思い出した名句
つきましては、今思い出したとある名句を載せて、今日の最後を締めくくりたいと思います。
俺は気付いた。
なりたかった自分も、なりたくなかった自分も、
結局どちらも、自分自身ではなかったという事に。
ではまた!みなさん、気が向いたら、こんな風なエッセーでお会いしましょう!
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英国古本屋ライター:K・T・エイリーズ
略歴:渡英後すぐ、イギリスの某大手IT企業に就職。IT/マーケティング資料/サポート記事の翻訳や校正を現役で担当中。ローカライズ歴5年目。プライベートでは、現地で結婚。夫婦の共通言語は英語。